先日、Googleで検索をしようとしたところ、
検索数が急上昇している言葉の候補がいくつか表示されました。
その中に、「グエー死んだンゴ なかやま」というものがあり、
気になって調べてみると、思いがけないニュース記事でした。
※ちなみに「グエー死んだンゴ」というのは、
もともとネット掲示板で使われていたスラング(俗語)で、
断末魔のコミカルな表現として、
状況が悪化した時などに冗談めかして使われます。
ニュースになったのは、
ある男性のX(ツイッター)上の投稿から起こった出来事でした。
アカウント名「なかやま」という22歳の方が、
年間20数件ほどしか報告されない希少がんを患い、
闘病の様子をユーモアを交えネット上に綴っておられたのです。
それが10月10日「多分そろそろ死ぬ」と投稿され、
その二日後には亡くなった事が友人によって報告されました。
しかし報告があった翌日、彼のアカウントに
「グエー死んだンゴ」という投稿がされていたのです。
どうやら、なかやまさんはあらかじめ
その投稿を予約していたようです。
もし生きていれば予約を取り消し、
また同じように予約し直していた――
と推察され、投稿の背景を思うとせつなくなります。
しかし、最後までユーモアを貫く姿勢は、
多くの人の心を動かしました。
なかやまさんの死を悼み、「香典代わりに」と
がん研究施設へ寄付をする人が現れ、
そうした行動が次々に広がっていったのです。
一人のユーモアが前向きな連鎖を生み出した、
という心動かされるニュースで、私も祈るとともに、
些少ながら寄付しその動きに乗らせていただきました。
この出来事がまとめられた外部サイト
カトリック司祭であり哲学者のアルフォンス・デーケン氏は、
ユーモアとは「~にもかかわらず笑うこと」と語っています。
なかやまさんの投稿はまさにそれです。
つらい現実にもかかわらず笑いを忘れない姿勢は、
彼の矜持を表すものであり、
周囲への思いやりでもあるのではないでしょうか。
そこに、人としての尊さを感じます。
そして会ったこともない人がネットを通じて彼を知り、悼み、
がん研究の施設に寄付をするというのも
粋なことする人がいたもんだなあと思うんです。
ある意味でお互いにユーモアを通して
祈りを伝えあっているかのように感じます。
彼の投稿をきっかけに行われた寄付は、
がん研究の発展を支えるものです。
これによって将来的に救われる人がいるはずで、
あの投稿や遺志に大きな意味が付与されたように思いました。
亡くなった人の人生に、
残された私たちが意味を見いだし、
行動というかたちで応える。
それもまた、大切な追善の形なのだと思います。
自分中心になりがちな日々の中で、
見ず知らずの人に対しても
連帯の気持ちを抱かせていただけたのも有難いことでした。
和歌山県新宮市にあるお寺 日蓮宗本廣寺