すっかり涼しくて唐突に秋になりましたね。
DSC_1556



人生思いもかけない事があったり
ちょっとした事が後で大きな影響があったり
不思議なものですよね。

産経新聞に読者が投稿するエッセーの欄がありまして
先日読んだものが印象に残りました。

エッセーの内容は、
映像に偶然映った人のその後を追ったという
テレビ番組を見て、
自分の人生に起こった出来事を回想したというものでした。

投稿した方の職場の前で車が故障し動かなくなってしまっていて、
見かねた同僚が近くの空き地まで車を押して動かすのを手伝った。
投稿者はその事を知らなかったんだけれども、
後日、車の持ち主の女性がお礼の挨拶に来た事でそれを知った。
その女性が後に妻になった。
また、東日本大震災の時には家が津波に流された。
妻と娘は地震の前日赴任先に泊まりに来ていて難を逃れ
長男は屋根に避難して凍えている所を深夜自衛隊のヘリに発見され
一命を取り留めた。
人生には理屈で説明のつかない偶然がある。
その偶然によって妻との出会いがあり家族の命が助かった。
番組を通して、生かされた命をいかに生きるか考えた、
といった内容でした。

本当にその通りだなあと。
私達の命や人生は、不思議な縁の連続で
今があるなと思うんです。

私で本廣寺の19代目の住職なんですが、
私の一族がお寺に入れていただいたのは4代前。
曾祖父の次はその長男が法灯を継ぐはずが早逝し、
他の兄弟が検討されたものの住職には選ばれず
私の祖父を住職にという話になったそうです。

住職の話がなければ本来祖父は東京の医者の家に入って
跡を継ぐという話になってたそうですから、
そうなれば祖母と結婚する事もなく、
父と私も生まれてなかったんですよね。

ですからこうして皆様と出会い、日々お経を上げている事が
何とも不思議な気がしてきます。
人間の運命というのはちょっとした事で
後に大きく影響があるものだなあと感じます。

よくお説教のネタで言われてる事ですが、
私たちが生まれてくる為には父母という2人の人間が必要です。
その父母が生まれてくるにはそれぞれ祖父母が4人いる。
10代遡れば1024人もの数に上ります。
全部合わせれば2046人です。
その人たちの1人でも欠けてたり出会ってなかったりしたら
私はいない。
人間に生まれてくる可能性は宝くじ1等に百万回連続当選するような
あり得ないくらい低い確率という生命学者もいます。
まさに有る事が難しいと書いて有難い命と言えます。

ご先祖にただ手を合わせるだけでなく、
先祖がどういった人生を辿った結果、
自分たちに至るのかというようなルーツに思いを馳せると、
命や運命の不思議を感じます。
そうした事が命の尊さの実感に繋がっていくように思います。

先祖供養は亡くなった人の命に向き合う事を通して
命の不思議さ、大切さに気付く所に大きな意味が
あるのではないでしょうか。

というようなお話をお施餓鬼ではいたしました。

和歌山県新宮市にあるお寺 日蓮宗本廣寺