16日、お盆のお施餓鬼を無事おつとめしました。
当日の新宮は39度、全国でも4番目に暑かったようです。
そのような過酷な日のお参り、誠にご苦労様でした。

さて、お盆の由来は目連尊者(お釈迦様の十大弟子)が
餓鬼道に堕ちて苦しんでいるお母さんを救った話によります。

目連尊者のお母さんは生前、子供を優先するあまり、
他の人に対しては物惜しみをしてしまっていました。
その貪りの心から餓鬼道に堕ちてしまったという事です。

そのお母さんを救う方法としてお釈迦様は、
「雨季の修行明けの僧侶たちに飲み物食べ物を施す供養をすれば
 その功徳によってお母さんや餓鬼たちを救う事が出来る」
と助言し、果たして救われる事になったというものです。

お母さんが餓鬼道に堕ちた事が表しているのは
「自分や自分の家族さえ良ければいい」という心では
本当の意味で幸せになる事は出来ないという事です。
そして僧侶たちへの供養で救われたという事が表すのは
一見自分たちとは関係のない人の利益と、自分たちの利益は
実はつながっている。
という仏教的な思想がうかがえます。

しかしながら、何をおいても我が子を優先しようという
親の愛は有難いものだなとも思うんですよね。
そうして親や先祖が慈愛を向けてくれたから
今の私たちに命がつながっているとも言えます。
日蓮聖人も親の恩のありがたさを事あるごとに仰っています。

身ごもってからはお腹が大きくなって様々苦労が伴い、
出産の時も激痛に耐えながら産み、そこからまた養育してくれる。
そうした母親の恩というのは心と肝にしみて尊いと仰せです。

それにもかかわらず、親が子を想うようには、
子が親を想う事はないとも仰っています。

子が全く親を想わないって事はないでしょうが、
親がよく子供を見て、常日頃から気に掛けてくれるようには、
子供の立場では中々出来ないという事ですね。

私たちはそうした恩があると頭では理解していても、
親にじゅうぶんな恩返しが出来ているかというと
どうでしょうか。

人として、親や先祖に感謝の気持ちを向けたいものです。
その最高の報恩の方法として日蓮聖人は
法華経の供養をしなさい、
そうすると無意識のうちにも
親の恩に報いる事になると記されています。

道徳や哲学では、生きている間にどうするべきかという事が
学べますが今生限りの話です。
しかし法華経は過去現在未来に亘り、
全ての人の救済を明確に示していますので、
法華経を信仰し実生活に活かす事で
両親、先祖の恩に報いる最高の孝行となります。

盆や彼岸、ご命日の折には報恩、感謝の気持ちを新たに
法華経の供養をいたしましょう。

和歌山県新宮市にあるお寺 日蓮宗本廣寺