先日、永代供養をお受けしている方の一周忌をお勤めしました。

この方は仏事を継ぐご家族がなく永代供養されたのですが、
財産を受け継ぐ人がいないというご事情もありました。
ご生前に
「何も手続きをしていないと財産を国庫に納める事になるので
それよりは縁ある人に渡したい」
「菩提寺にも寄付したい」
と当人からお申し出がありました。
お亡くなりになったのは昨年ですが遺産の整理が行われ、
今年に入って司法書士さんを通し
大変な額をお預かりする事になった次第です。
お寺には直したり整備したりすべき所はたくさんあるのですが
出来ればお寺の未来につながる使い方をして、
ご遺徳を長く偲びたいと思います。
お寺というのは施設が広大で備品も特殊なので
維持にお金がかかるものです。
折に触れご協力下さる多くの檀信徒の皆様はもちろんの事、
篤志家による高額のご寄付が不足分を補う形で
施設が維持出来ています。
また、多くの支えがあるからこそ、お金がない方でも
ご供養をさせていただけるという面があります。
お布施を用意出来ない方に葬儀のお経を上げる、
といった事もお坊さんは少なからず経験があるのではと思います。
それぞれに応分の寄付をいただき
お支えいただく事によって
誰もがお参りして平等に供養を受けられる、祈る事が出来る。
というおおらかなシステムです。
これは支えて下さる方がご自分やご家族だけでなく、
困っている方のご供養も助けているわけで
ともに救われようという仏教精神に通じる
功徳の大きな行いだと思います。
お寺の為にされた寄付のおかげで、
数十年、数百年とお寺は存続していきます。
何年も先の人々に繋がっていくものと考えると
もはや時空を超えた祈りとも言える尊い行いです。
今だけでなく、過去から未来への繋がり、
人との繋がりを意識する事になります。
自分以外の為に寄付する、サポートする
といった行為は、世の中のバランスを取り
「自分だけ良ければいい」となりがちな心を
「皆と共に」の方へ意識を調整する行いのようにも思います。
だからうちに寄付しろ~といってるわけじゃありません、
念のため💦
お布施や慈善団体への寄付は
繋がりの上に生きる人間としての加減を学び、
体と心に落とし込む行為なのではないかな
と思った次第です。
尊い浄財を無駄にしないよう扱わせていただきます。

この方は仏事を継ぐご家族がなく永代供養されたのですが、
財産を受け継ぐ人がいないというご事情もありました。
ご生前に
「何も手続きをしていないと財産を国庫に納める事になるので
それよりは縁ある人に渡したい」
「菩提寺にも寄付したい」
と当人からお申し出がありました。
お亡くなりになったのは昨年ですが遺産の整理が行われ、
今年に入って司法書士さんを通し
大変な額をお預かりする事になった次第です。
お寺には直したり整備したりすべき所はたくさんあるのですが
出来ればお寺の未来につながる使い方をして、
ご遺徳を長く偲びたいと思います。
お寺というのは施設が広大で備品も特殊なので
維持にお金がかかるものです。
折に触れご協力下さる多くの檀信徒の皆様はもちろんの事、
篤志家による高額のご寄付が不足分を補う形で
施設が維持出来ています。
また、多くの支えがあるからこそ、お金がない方でも
ご供養をさせていただけるという面があります。
お布施を用意出来ない方に葬儀のお経を上げる、
といった事もお坊さんは少なからず経験があるのではと思います。
それぞれに応分の寄付をいただき
お支えいただく事によって
誰もがお参りして平等に供養を受けられる、祈る事が出来る。
というおおらかなシステムです。
これは支えて下さる方がご自分やご家族だけでなく、
困っている方のご供養も助けているわけで
ともに救われようという仏教精神に通じる
功徳の大きな行いだと思います。
お寺の為にされた寄付のおかげで、
数十年、数百年とお寺は存続していきます。
何年も先の人々に繋がっていくものと考えると
もはや時空を超えた祈りとも言える尊い行いです。
今だけでなく、過去から未来への繋がり、
人との繋がりを意識する事になります。
自分以外の為に寄付する、サポートする
といった行為は、世の中のバランスを取り
「自分だけ良ければいい」となりがちな心を
「皆と共に」の方へ意識を調整する行いのようにも思います。
だからうちに寄付しろ~といってるわけじゃありません、
念のため💦
お布施や慈善団体への寄付は
繋がりの上に生きる人間としての加減を学び、
体と心に落とし込む行為なのではないかな
と思った次第です。
尊い浄財を無駄にしないよう扱わせていただきます。