「お彼岸におはぎを食べるのは何故?」
という内容が放送されていました。
諸説あるものの
「小豆は魔よけの力があるから」との事。
恥ずかしながら諸説ある事も知りませんでした。
以前に私が由来として読んだ事があったのは
祖霊信仰と農耕の結びつきが関係しているという説です。
春には祖霊にぼたもちを供えて五穀豊穣を祈り、
秋には実りに感謝する為のお供えがおはぎである
というような。
ちなみに春はぼたもち、秋はおはぎ、と名前が変わるのは
その時期に咲く花を模して作るから春は牡丹(ぼたもち)
秋は萩(おはぎ)という事です。
春の彼岸は種まきの時期なので、祖霊を祀って五穀豊穣を祈る。
秋には実りをもたらしてくれた祖霊に感謝を捧げる。
私はこちらの方がしっくりくるんですが、
ネット検索してみると「小豆が魔よけだから」説が優勢でした。
確かに小豆の赤い色が生命力を表していて、神秘的な力があると
昔の人は考えて、よく魔よけやお清めに用いられるんですよね。
でも何でお彼岸に魔よけが必要なのかな?と思いまして、
更に検索してみると、嘘かまことか
「この世とあの世が近づく時期だから」
と書かれているサイトを見つけました。
推測ですが、神仏やご先祖はまだしも、
あの世の良くないものに接近したくないとか、
引っ張られないようにという感じなのでしょうか?
でも彼岸に近づくという事で言えば、
迷いの世界の「此岸(こちらの岸)」に対して、
迷いの世界の「此岸(こちらの岸)」に対して、
悟り(仏)の世界の「彼岸(あちらの岸)」なんですよね。
あの世はあの世でも仏の世界なんで、
魔よけしなくて大丈夫では・・・?と思ってしまいました。
ただ、日本で最初のお彼岸法要は、平城天皇が早良親王の怨霊を
鎮める為に全国の国分寺でお彼岸中ずっとお経を読ませたという
大法要が始まりらしいので、魔よけの為という説も
どこかに霊を畏れる心があるという事かも知れません。
どこかに霊を畏れる心があるという事かも知れません。
ともあれ、あの世とこの世が近づくからこそ
供養の思いも届きやすい、
供養の思いも届きやすい、
みたいな話もあるので、出来る事なら視点を変えて
故人を偲び仏道に精進する
故人を偲び仏道に精進する
という面に目を向けたいと思います。
他の説として、昔は小豆も米もすごく貴重だったので、
その貴重なものを神仏やご先祖にお供えし、
自分たちもお下がりをいただいたという説。
これはリアリティある感じがします。
神仏、ご先祖への感謝と自分たちの楽しみ。
どれもが関連しあってるのかもしれないし、
どれも実は違うのかもしれない。
諸説ありますというのは考えてみると、
より行事への理解が深まるかもしれません。
和歌山県新宮市にあるお寺 日蓮宗本廣寺
和歌山県新宮市にあるお寺 日蓮宗本廣寺