関連記事


仏教における多様性についての考え方は法華経に出てくる三草二木(さんそうにもく)の譬えにその一端が見られます。

三草二木の譬えですが、
草に大中小、木に大小という具合に種類や大きさに違いはあっても、そこには等しく雨が降り注ぐ。
そして草木はそれぞれの種類や大きさに応じて雨を受け水を吸収する、というものです。
この草木は私たち衆生を表し、雨は仏様の教えや慈悲を表します。

私たち衆生にはそれぞれ個性があり能力に違いがあります。しかし仏様の慈悲や教えは平等に私たちに向けられています。
つまり教えや慈悲が平等に与えられていても、それを受ける側の私たちの能力などの違いによって理解や影響が異なるという事です。
それでも法華経の功徳は全ての衆生を成仏に導きます。
それぞれの身に応じて精いっぱい生き法華経信仰に励む事が大事ですね。

本題の多様性という面から見ると、それぞれ違った存在である事は大前提で良いも悪いもない、当たり前の事という考え方です。
お釈迦様は小さい草に「何でお前は大きな木になれないんだ!」とは言わないでしょう。
全てが違う存在であるという前提の上に、各々の身で仏となる事が大事で、そのままで良いのだという事です。
ただ、そのままで良いと言っても姿や生まれ持った物を変えなくて良いという事であって、成長する事は望まれます。

お釈迦様は主として導き、師として教え、親として見守ってくれている事が法華経に明かされています。
私たちにどうなって欲しいのかといえば、仏へと成長して欲しいんです。
人は生まれたまま教育やしつけを受けなければ、いつまでも動物や子供のような状態ですからそこを脱して成長しよう、という事です。
欲望のまま生き、または怠けて、智慧なく苦しんでいる子供から成長し大人になる事を願っていらっしゃいます。

と、書いている人が未熟なまま老化だけ進んでいる事を懺悔せねばなりません。
これでは逆名探偵コナン※です。

一生空しく過ごして万歳悔ゆることなかれ
いい加減に過ごして死んでから後悔しても遅い
ですね。


※「見た目は子供、頭脳は大人 その名は、名探偵コナン!」という名探偵コナンのキャッチフレーズから