前回記事に関連して今日は詩をご紹介したいと思います。
吉野弘という方の「生命は」という自分と他者との関係、いのちの在り様を表現している詩があります。

生命(いのち)は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい

花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で 虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする

生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
 
世界は多分 他者の総和
 
しかし 互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず 知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに うとましく思うことさえも
許されている間柄
そのように 
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
 
私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない

いのちというのは自己完結出来ないようになっている。
他者の世話にならず自分だけでは生きられない。
そして世話になったり世話をしたり、影響を与え合うけれども、必ずしも目に見える形や自覚があるとは限らない。
そうやって影響しあって補いあって生きている。
という感じでしょうか。

誰かに関わっているのは「知りもせず 知らされもせず」「無関心でいられる」だけでなく「うとましい」と思う事もあるというのがこの詩の奥深さだと思います。
誰の世話にもならず自分だけで生きられればある意味気楽ですが、そうはいかないようになっているんですねー。
人付き合いで言えばうれしい事をしたりされたり、有難迷惑、くらいなら良いですが、嫌な事をしたりされたりという事だってあります。
好ましい人だけでなく、疎ましい人さえも実は必要な事もあるわけで。

多様性を理解しようといっても一筋縄でいかない、簡単には理解の及ばない世界で不思議に関わりあって生きていると思います。


和歌山県新宮市にあるお寺 日蓮宗本廣寺