例年になく早い入梅となりました。
そんな中で始まったNHKの連続テレビ小説「おかえり モネ」。

宮城県気仙沼市の離島・亀島で育った永浦百音(清原果耶)は、高校卒業を機に、内陸の登米市の大山主・新田サヤカ(夏木マリ)の家に下宿して、森林組合の見習い職員として働き始める。(公式あらすじより)

2回ほどしか観てないのですが心に残るセリフが多くありました。
就職したばかりの主人公は何故働くのかという事をしょっちゅう考えているようです。
何故働くのかというのは何故生きるのかというところに直結する事でもあります。
大人になるにつれ脇に置いたり、いつの間にか折り合いのついている(つもりでいる)テーマです。

やりたい事は見つかっていないけれども漠然と人の役には立ちたいという主人公。

地元の有力者(夏木マリさん)が言うには、気にせず好きな事をやれば良くて、
「私が60うん年生きてきて得た結論から言ってしまうとね、別に百音が死ぬまで、いや死んだ後もなーんの役に立たなくったっていいのよ」
しかし人の役に立ちたいと悩むのは健全な事だと笑って励ましてくれます。

また別の場面で祖父との会話では

「山の葉っぱさんたちが海の栄養になんのさ。山は海とつながってるんだ。なーんも関係ねえように見えるもんが何かの役に立つっていうことは世の中にいっぺえあるんだよ」
「じゃあみんな・・・誰かの役に立てんの?」

というものがありました。

「なーんも関係ねえように見えるもんが何かの役に立つ」
これは様々なものとの関係、つながりの中でお互い生かされていると考える仏教に通じます。
私が生きているから存在する他者や物がある。また、他者や物との関わりの上に私が生きている。
自分が知っている対象か、知らない対象かは関係ありません。
この考え方によれば、意識してないところで自分が誰かの役に立っているという事もあるわけです。

「何の役に立たなくたっていいのよ」というのはそういう所を言っているのではないでしょうか。
だからやりたい事をやって輝けよ!そしたら君は自然と人の役に立ってるから!って事ですねきっと。
勢いで勝手な感想を書いたら出来の悪い松岡修造みたいになってしまいました。


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ところでアリなんかは働き者とサボる者が必ず一定数いるそうですね。
種類を問わず生物には働き者そうでない者、強い者弱い者、変わり者や少数派がいて、そうした多様な存在があるからこそ環境の変化に対応して生き残り、進化するという事です。

多様な存在の肯定は仏教の基本的な考え方です。次回はそうした事を書こうと思います。

和歌山県新宮市にあるお寺 日蓮宗本廣寺