メッセージでご質問頂きましたが返信機能がありませんので
今回はこちらで答えさせて頂きます。
頂いたメッセージは以下のものです。

>こんにちは いつもお世話になっております! >質問ですが! >植物にも 魂がやどるんですか? >あくまでも 私だけの心の判断ですが >動物に分類される >クジラや イルカを 食べる事は >決してありませんが! >魚や 樹木にも 魂が 宿っているのなら
>食べれなくなります >全ての魂に >恨まれることなく 生きていくには >どうすればよいのでしょうか?

というご質問でした。
何を生物とみなすか。魂の有無。何は食べ物として認められるか。
これらは思想・宗教・学説・国・法律・文化・習慣・人などにより異なりますよね。

>あくまでも 私だけの心の判断ですが
と仰るその姿勢がもう答なのだと思います。
最終的には法に触れない範囲の下、自分で線を引くしかないと思うので
ご参考程度に読んで頂きご自身でまたお考え頂ければ幸いです。

まず植物に魂が宿るか?というご質問。
石や山をご神体として拝んだり木をご神木と崇めたりするくらいですから
植物に魂が宿ると見るのは日本古来の宗教観です。
そこに伝来してきた仏教の教えが組み合わさって現代の日本の仏教固有の魂についての考え方が出来上がっています。

日蓮宗では人や動物のみならず全ての命に
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏
の10の性質が宿っている。
つまり全ての命が仏の性質を持っている。
だから草木だろうが動物だろうが命あるもの全ては成仏できると考えられています。

>魚や 樹木にも 魂が 宿っているのなら
>食べれなくなります

魂が宿っているから食べてはいけないという考え方はとりあえず仏教にはないかも知れませんね。

東南アジアの仏教などでは頂いた食事は命をつなぐ材料、それ以上でもそれ以下でもないと考えるそうです。
あれこれ考えて食べる事に執着を起こさないという事の方が重要というところでしょうか(悟りに向かう事が重要)。

日本の仏教も大方のところは食事は命をつなぎ体を動かし修行に励む為のもの。社会の為に働く為に取るもの。
大切な命を頂くことに感謝する。という感じだと思います。

仏教の教えとして不殺生、殺してはいけないという戒が有名ですが、
これは命を慈しみ大事にせよという事を表現しているわけで、
「何で殺すなと言ってるのかな」と考えて行動する事が大事だと思うんです。
戒というのは悟りという目的に到達するための手段・目安という感じでしょうか。
度を越して戒律破るような生活してたら悟りから遠ざかる、
ロクな事にならないからその辺考えて戒律守りなさい、バランスが大事だよという事かなと思っています。

殺すなという事にだけとらわれて何が何でも守らなければならない目的のように考えてしまうと、
例えば「殺してはいけないから何も食べてはいけない」というような間違った結論になってしまうと思います。
考え過ぎで現実離れしては意味がないのでどういう意図なのかくみ取って現実に沿わせないといけません。
命をつなぐための食事でさえ殺生だからダメだという事はないと思います。
等しく命あるものを自分の為に犠牲にしなければならない。これは覆せません。
野菜だろうが牛だろうが自分以外の生命を奪っているという事に違いありません。
そうした世界に生まれた以上はそういうものだと了解し、
感謝して無駄にしないくらいが人間に出来るせいぜいではないかと私は思っています。

>全ての魂に >恨まれることなく 生きていくには >どうすればよいのでしょうか?

それは悟りを開いて仏様にならない限り無理かも知れません。
何が相手にとって嫌な事なのか、罪なのか。凡人の私たちが全て把握する事は出来ません。

人間気づいてようが気づいてまいが常に罪を犯しています。
知らないうちに恨まれている事だってあるでしょう。
その事を理解した上で謙虚に悪い事は最小限に、良い事を精いっぱいするしかないのではないでしょうか。
仏教では日々、自覚のあるものも自覚のないものもひっくるめて全ての罪を懴悔し、
全ての命の幸せを願い、向上を願います。
頂いた命で今日も生きている事に感謝する。
そして食べた分だけその命をムダにしないような良い行いをすれば、それは頂いた命を活かすという事になり
頂いた命に報いるという事が出来るのではないでしょうか。