全日本仏教青年会から本日29日~5月6日まで
梵鐘もしくはお堂の金鋺(鐘、鳴り物)を
同じ時間に全国各地で鳴らし
祈りを届けようという呼びかけがありました。
梵鐘もしくはお堂の金鋺(鐘、鳴り物)を
同じ時間に全国各地で鳴らし
祈りを届けようという呼びかけがありました。
新型コロナウイルス感染症により
亡くなられた方の追悼や
この状況の中で懸命に働いて下さっている方への
感謝の思いと共にウイルスの厄災を祓い
亡くなられた方の追悼や
この状況の中で懸命に働いて下さっている方への
感謝の思いと共にウイルスの厄災を祓い
人々の不安が一日も早く解消するよう祈りを込め
鐘を日本全国で一斉に鳴らそうというものです。
鐘を日本全国で一斉に鳴らそうというものです。
鐘を打つ数は10回。
10という数は十方世界、
つまり日本中、世界中の人に祈りを届け
コメント
コメント一覧
いつも! お世話になっておりますm(__)m
私自身も 日蓮宗の ありがたい お経のごく一部を
唱える事が 出来る様に なりましたが!
私の心の中には 自分の亡くなった家族や ご先祖様が
あの世で 安らぐ為にと思い 唱えています!
何とも 心狭い行いでしょうかm(__)m
世界の人々に対してなんて とうてい思いつかない 行いばかりですm(__)m
毎日 お経を唱えていれば そのうちに そのような 心に なれるでしょうか?
毎日! 仕事のストレスなんかで 落ち着いた気持ちを 忘れてる 私では
とうてい 無理な 事なんでしょうねm(__)m
綺麗な気持ち! 素直な心!
願ってはいますが なかなかなれないものですね\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
家族やご先祖だけを思うのは心が狭いというよりはそれで当然だと思います。
人間自分が一番かわいいというのが仏教の基本的な考え方です。
思いやる気持ちを向けられてもせいぜい家族や先祖、友人あたりまででしょうか。
ただそれも相手がいなくなったら寂しかったり不便だったりする我が身可愛さからだという事になっていて、最初それを聞いた時は残念に思ったのですが(笑)、現実的で私は納得がいきました。
そういうものなので、それはそれで良いと思います。
しかし幸せになるには自分だけ幸せになるというのは難しく、
まわりも幸せでなければ自分も幸せになる事は出来ないという事が法華経の教えです。
周囲とのつながりがあって私たちは生きる事が出来ているからです。
今の医療崩壊の危機などはそれが分かりやすく感じられる例ではないでしょうか。
医療崩壊が起こればコロナ感染症以外でも他の病気やケガをした人など本来助かるはずだったものも助からなくなります。
自分が病気やケガで病院に行っても診察が受けられない、それなら医療崩壊が起こらないように感染拡大しないよう行動する、これが結局医療関係者の負担を減らし他人を救う事になり自分の利益にもなるというような話です。
石橋湛山は自分の利益を追求すれば結局他人の利益を考えざるを得なくなると言ったそうです。
自分の都合優先だとどこかでひずみが出るので相手の都合も聞かないと物事は解決しません。
自他共に満足が得られるという形が円満に幸せになる方法だという事です。
ところで供養は「養」ったものを「供」えると書きます。
何を養うのかといえば私たちの心です。養った真心を供える事です。
真心を物であったり行動であったりに表す事が供養です。
また、供養というのは自分の心を養ういわば心のトレーニング(ご修行)でもあります。
日々のお勤めではご家族ご先祖に限らず生きとし生ける者が幸せであるように
祈ってみて下さい。
お経が終わったら
「願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道(がんにしくどく ふぎゅうおいっさい がとうよしゅじょう かいぐじょうぶつどう)
南無妙法蓮華経×3」
とお唱え下さい。
「願(ねが)わくは此(こ)の功徳を以(も)って、普(あまね)く一切(いっさい)に及ぼし、我等(われら)と衆生(しゅじょう)と、皆共(みなとも)に仏道を成(じょう)ぜんことを」
自分も他の人々も共に仏道を成せますように、救われますようにという事です。
あらゆる者の幸せを祈るのは瞑想法としてあるくらいです。
自分もご先祖も色んな人の世話になっております。色んな人との関係の上に生かされております。
そういった事を意識し感謝するトレーニングの意味が供養には含まれています。
供養によって自分の真心を養い、多くの者を思いやる慈悲の心を養う事で成長し幸せに近づいていけると思っております。
私も頑張ります。