日蓮宗宗務院で開催された布教伝道基礎研修会に参加して参りました。

今年の一月に宗務院を会場に開催された全日青の代表者会議が終わった時には、私の和歌山の青年会会長の任期終了が三月末まででしたので「もうここに来る事もないだろうなぁ」と思ってたんですが、7か月そこそこでまた行く事になりました。

思わぬ機会でしたが、研修が始まる前に宗務院の隣にある池上本門寺様へもお参りが出来て得をした気分です。
DSC_0114


第一講は
私たち僧侶の布教方針「合掌」について。

布教方針について理解を深める講義内容で、私たち僧侶は不軽菩薩の但行礼拝の精神に基づく合掌の精神を以て振る舞い、お題目を広める重要性を確認しました。

不軽菩薩とは法華経に出てくる菩薩様です。

全ての人がやがて仏になる、そして仏になる為の行いをする尊い存在であると信じ、全ての人に合掌し拝み続けた事から常不軽菩薩(常に軽んじない=常に敬う菩薩)と呼ばれます。

中には怒って棒で殴りつけたり石を投げたり悪口を言う人もいましたが、そんな相手さえも「やがて仏になる存在です」と合掌礼拝をし続けた(=但行礼拝)そうです。


その不軽菩薩はお釈迦様の過去世の姿とされます。

但行礼拝というひたすらに相手の中に仏を見出し、尊い事を信じ敬う行いを続けたからこそお釈迦様は仏になれたという事です。

だから私たちもまた但行礼拝しお題目を唱える事によって成仏を目指すという事になります。

相手の表面上の考えや対応がどうこうという事でなく、
相手の中に仏がいる事を確信して合掌し敬う、という非常に難しい行いです。

ただのきれいごとではないと捉え実行するとなりますと、とても苦しい行だなあと思います。

大好きな相手であればまだしも
例えば嫌な事をされた人、苦手な人相手にそれが出来るでしょうか。

経文の「あなたたちは皆菩薩の行い(人の為に役立つこと)をする事で仏になる事ができる」という一文を信じ地道に進むしかありません。

但行礼拝は自分が相手の事を好きか嫌いかという次元をこえて相手を拝みきるという事だと思うので、それとは少し意味合いは異なりますが宗祖は「提婆達多こそ第一の善知識なれ(悪人や敵こそが自分を成長させる)」とも仰っています。


第二講三講は地域貢献や様々な新しい取り組みを通してお寺を活性化させているお上人様の講義でした。

マイナスから逆転の発想をしてプラスへ変える様はまさに法華経的な生き方だなあと尊敬します。
他にも柔軟さや在家の方の考えをよく感じ取る事、先を見る事など、貴重なお話が聞けました。

その後はグループワークが行われ一日目が終了しました。

こういう所に参加されている方は既に行動を起こしている方が多く、そうした方のお話を聞くと焦るところもあるんですが、それ以上に刺激となりますし、すぐにこの学びが活きるというより何年かした時に結実するというかさせねばと思います。

長いので二日目は別の記事にします。