今年は境内の紫陽花がきれいに咲きました。
あじさい
今月コロナが感染症法上の5類に
引き下げられた事もあってか、街には
すっかり人出が戻っています。
この調子で景気が上向けばいいですね。

戻ったといえば葬儀や年忌の参列者も
最近は大勢いらっしゃる感じです。

コロナが流行して以降、葬儀に参列を求めづらい、
参列したいがためらわれる、
等々色んな理由で参列が少ない状況でした。
参列したくても出来ず悲しみのやり場がなかった人、
付き合いをせずに済んでホッとした人と様々あろうと思います。

しかし人生を生き切った人を縁ある者がねぎらい、
敬意を表し、感謝を伝えて最後のお別れをする、
人生に於いて特別な機会です。
身内に限らず、多くの人が参加できる事が望ましいと思います。
それを遠慮しなければならないのは
ちょっと異常な事ではないでしょうか。

死んだ者にさえ尊厳を認め、厚く弔う事は
人間にしか出来ない事で、そこまでするからこそ
人間の命の尊さを理屈を超えて認識するんですよね。
死者の弔われる権利、死者の尊厳を大事に出来るからこそ
人間自体の尊厳を守る意識に通じます。

コロナ禍にあっては
コロナで亡くなった人は火葬が済むまで
遺族でさえ対面出来ない、
弔いの儀式が出来ないという事もありました。

弔い<感染予防・批判への心配 
となって、必要以上に自粛していたり、
個別の対応を放棄して紋切型に自粛して
死者の尊厳は二の次という面もあったのではないでしょうか。
勿論、医療施設や保健所のひっ迫状況を見ると
最大限の感染予防は必要でしたけども。

心のケアとしての弔いの大切さ、
人間の尊厳という面での弔いの大切さは
いま一度考えていただけるよう折に触れ
伝える努力が必要だと思いました。

和歌山県新宮市にあるお寺 日蓮宗本廣寺