この調子で景気が上向けばいいですね。
戻ったといえば葬儀や年忌の参列者も
最近は大勢いらっしゃる感じです。
コロナが流行して以降、葬儀に参列を求めづらい、
参列したいがためらわれる、
等々色んな理由で参列が少ない状況でした。
参列したくても出来ず悲しみのやり場がなかった人、
付き合いをせずに済んでホッとした人と様々あろうと思います。
等々色んな理由で参列が少ない状況でした。
参列したくても出来ず悲しみのやり場がなかった人、
付き合いをせずに済んでホッとした人と様々あろうと思います。
しかし人生を生き切った人を縁ある者がねぎらい、
敬意を表し、感謝を伝えて最後のお別れをする、
人生に於いて特別な機会です。
敬意を表し、感謝を伝えて最後のお別れをする、
人生に於いて特別な機会です。
身内に限らず、多くの人が参加できる事が望ましいと思います。
それを遠慮しなければならないのは
ちょっと異常な事ではないでしょうか。
それを遠慮しなければならないのは
ちょっと異常な事ではないでしょうか。
死んだ者にさえ尊厳を認め、厚く弔う事は
人間にしか出来ない事で、そこまでするからこそ
人間の命の尊さを理屈を超えて認識するんですよね。
死者の弔われる権利、死者の尊厳を大事に出来るからこそ
人間自体の尊厳を守る意識に通じます。
人間にしか出来ない事で、そこまでするからこそ
人間の命の尊さを理屈を超えて認識するんですよね。
死者の弔われる権利、死者の尊厳を大事に出来るからこそ
人間自体の尊厳を守る意識に通じます。
コロナ禍にあっては
コロナで亡くなった人は火葬が済むまで
遺族でさえ対面出来ない、
弔いの儀式が出来ないという事もありました。
弔い<感染予防・批判への心配
となって、必要以上に自粛していたり、
個別の対応を放棄して紋切型に自粛して
死者の尊厳は二の次という面もあったのではないでしょうか。
勿論、医療施設や保健所のひっ迫状況を見ると
最大限の感染予防は必要でしたけども。
心のケアとしての弔いの大切さ、
人間の尊厳という面での弔いの大切さは
いま一度考えていただけるよう折に触れ
伝える努力が必要だと思いました。
和歌山県新宮市にあるお寺 日蓮宗本廣寺
コロナで亡くなった人は火葬が済むまで
遺族でさえ対面出来ない、
弔いの儀式が出来ないという事もありました。
弔い<感染予防・批判への心配
となって、必要以上に自粛していたり、
個別の対応を放棄して紋切型に自粛して
死者の尊厳は二の次という面もあったのではないでしょうか。
勿論、医療施設や保健所のひっ迫状況を見ると
最大限の感染予防は必要でしたけども。
心のケアとしての弔いの大切さ、
人間の尊厳という面での弔いの大切さは
いま一度考えていただけるよう折に触れ
伝える努力が必要だと思いました。
和歌山県新宮市にあるお寺 日蓮宗本廣寺